住谷久司 物語


父が44歳時の写真です。

私の幼少時の写真です。
活発な男の子でした。

大学の先輩と。右側が私です。

新婚時代の写真です。友人宅で。

40歳前半の写真です。
ちょうど本文にある
衝撃を受けた前後です。

結婚●周年記念で妻と
マウイに行った時の写真です。
私は昭和32年10月、東京都荒川区にて、
父 義雄、母 久子の二男として生まれました。

私の父も歯科医師で荒川でずっと開業しておりましたが、
平成5年、脳梗塞に倒れ、入院加療のかいもなく、残念ながら平成7年に亡くなりました。

私は、父の診療所の2階で生活していたので、
幼年から小学生高学年まで父の診療所は遊び場でした。

歯形とる材料で自分の手形をとったり、人工歯を並べるときのロウで人形を作ったり、父の後ろ姿や患者さんとの会話を聞きながら遊んでいました。
そんな、父の仕事を見てなんとなく嬉しくなったことを覚えています。

そして、なんの抵抗もなく、父と同じ仕事がしたいと思うようになり、
歯学部へ入学しました。

父が日本大学歯学部で細菌学を学び、博士号を取得していた関係からか、
私もなんだか細菌学に興味を持ちました。

その後、大学を卒業し、日々臨床にいそしんでまいりました。
しかし、一生懸命、患者さんの歯の根の治療を行い、上部構造を入れても、
少しすると「歯の浮いた感じがする、よくかめない」と言われることがありました。

なぜだろう。なぜこのようなことが起こるのだろう?


大変悩みました。
いろいろな文献を読み、色々な人から意識をいただき、やっとわかりました。
それは、根の中に細菌が残ってしまい、それを取り残していたのです。
しかし、細菌は目に見えません。

ある時、ある良い方法を知り、衝撃を受けました。
それが、当時、大阪歯科大学細菌学講座教授の福島久典先生が開発された
チェアーサイド嫌気培養システムです。
すぐに大阪へ飛び、習得しました。

おかげで、このシステムを使用してから約15年間、患者さんに不愉快な思いをさせることなく、しっかりかんでいただけるようになりました。

最後に・・・

 

父はいつも「いいか久司。ごまかさず、いい治療をしてお金をもらえよ!」

と口癖のように言っていたのを覚えています。

私も父と同じように考え、ごまかすことなく、今、自分のできることをしっかり行い、
患者さんにしっかりかめる喜びを与え、
明るい笑顔になっていただける様に努力していきます。